まるくめもり。

カフェがすき。ごはんとおやつとおさんぽと。

すとん。

 
 
こんばんは。まるくまです。
 
 
週に1回以上の更新が目標なのですが、前回の更新から半月たってしまいました。
 
就職活動の時期も近づいてきて、将来についてきちんと考えねばならぬ、などのおもいから、最近はたくさんの人にお願いして会ってもらって、お話をしています。
 
会うひとごとに新しい価値観に出会ったり、悩んだり、わくわくするお話を聞いたり、きらきらした顔を見ることができたり、わたしはとても充実した時間を過ごしているのですが、相手を楽しませることはできていないなあと思います。
 
 
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時間って、とても価値あるものだと思っています。時は金なり、なんていうけれど、無限の可能性があるお金より、1人が持ち得るのに限りある時間のほうがずっとずっと貴重なものではないですか。
 
 
わたしに会って話をしているその1時間でこの人はなにを得ることができただろう?わたしに会ってなかった場合は?
 
時間をくださいとわがままを言って、いただいた時間に見合ったものを、わたしは提供できているだろうか?
 
 
 
こたえは、NOでしょう。
 
 
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深刻に悩んでいるわけではありません。でも、意識しなきゃいけないと思います。
 
ひとの時間を奪うのではなくて、魅力ある時間を提供できるようなひとになりたいですね。わたしが今お会いしているような方々のように。
 
 
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そんな時間のなかから、とくにいまのわたしの中にすとん、と落ちてきたことばを書き留めておこうと思います。
 
誰のためでもない、すこし先のわたしが読み返すために、です。
 
 
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「君は有名なレンガを積み上げる男の話を知ってる?」
 
聞いたことがないような、あるような、やっぱりないような。
 
 
家に帰ってから Google 先生に尋ねてみたところ、経営系や人材系の研修などでよく使われる「3人のレンガ職人」というイソップの寓話だとのことでした。
 
 
中世ヨーロッパのとある町で、大聖堂の建築が行われていた。
 
そこへ旅人が通りかかり、一人の職人に尋ねる。
 「何をしているのですか?」
 
するとその職人は不機嫌そうに答える。
 「ただレンガを積んでいるだけ。つまらない仕事さ。」
 
別の職人にも尋ねてみる。
 「何をしているのですか?」
 
すると、2人目の職人はこう答える。
 「強い頑丈な壁を作っているのさ。」
 
また、別の職人にも尋ねてみる。
 「何をしているのですか?」
 
すると、3人目の職人はにこやかに胸を張ってこう答える。
 「街中の人が喜ぶ大聖堂をつくっているんだ。
  自分が亡くなってからも、子供や孫達が私の仕事を誇りにしてくれると思う。」
 
「この話から引き出される一般的な教訓は、ざっくり言うと『目的(ヴィジョン)をもって仕事しよう』ってことだよね」
 
「でも、大聖堂をつくることに喜びを感じるひともいれば、レンガを積むことこそに喜びを感じるひともいると思うんだよね」
 
 
 
すとん。
 
たしかになあ、夢をもってそれに向かって前進してくことだけが人生の楽しみ方じゃないよなあ。
 
一瞬一瞬をたのしむ生き方も同じようにすてきだし、レンガを積むことを目的にレンガを積むことが、大聖堂をつくることを目的にレンガを積むことより劣っているなんて言えないよなあ。
 
 
素敵な解釈でしたし、知らず知らず感じていたらしい「将来どうしよう」のプレッシャーをすっと軽くしてくれたのでした。なんだ、今を楽しめばいいじゃん。
 
 
 
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長くなってしまいましたがもうひとつ。
 
 
これは会って話したのではなく、好きなブログを読んでいて出会ったことばです。
 
 

いわゆる小さな幸せというのは、小さな差異のことであって、

だからそれは同じことの繰り返しの中でないと存在できないのではないか。

と、ふと思いました。

それで書き初めは「早寝早起き」と。それが、同じことを繰り返す日々の、スタートとゴールだから。

 
すとん、と落ちてきました。
 
 
その通りです。日々のルーティンができているから、だからこそ気づくことがあるのでしょうね。ちいさな幸せに気づかず生きていくのはさみしいことだと思います。
 
 
早寝早起き、この記事を書いている時点で、まったくできていません…。
 
でも、モチベーションが「ちいさな幸せを見つけること」なら、これから続けていける気もします。今年の目標に追加しよう。